「最後の選挙」にさせないために
白井聡 京都精華大学人文学部専任講師(政治学・社会思想) 2016年6月18日
参議院選挙が近づいてきたが、一応「自由で公正な国政選挙」が行なわれるのは、この選挙が最後となるかもしれない。安倍政権の目指す「憲法改正」の過程がその目論み通りに進行するならば、政権に敵対的なメディア、知識人、さらには政党が、自由に自己の主張を展開したり、宣伝したりすることが今後できるのか、全く予断を許さない。
現に、大手TV局は、政権に対して批判的なキャスターを降板させ、屈服した。私たちは、「相手の出方」を出来るだけ正確に予測しなければならない。
◾ゴールは全面改憲
安倍晋三首相は「憲法改正」に執念を燃やしてきたが、その企みは段階を踏んで着々と進みつつある。そのゴールは全面改憲であり、自民党による憲法草案そのもの、あるいはそれに近いものへと、現行憲法を書き換えることである。この憲法草案たるや、国民の基本的人権を制約したいという欲望を露にした途方もない代物であるという批判が多方面から出てきている。
だが、全面改憲に至るための第一段階はすでに済んでいる。それはすなわち、集団的自衛権を行使できるとする憲法解釈の変更であり、新解釈に基づく新安保法制の昨年国会での成立である。
この憲法解釈の原則的変更によって、自衛隊は同盟国と共に他国や武装勢力に対して先制攻撃を加えることも、原理的には可能になった。政府見解において、専守防衛のための最小限の自衛能力として憲法9条と矛盾しないものとされてきた自衛隊の定義は、根本的に変更されたのである。
この重大な変更を実質的に下したのは、2014年7月1日の閣議決定である。いかなる選挙の審判の機会を経ることもなくそれは決められたのだから、新安保法制反対運動という形で激しい反発が生じたのは、当然のことであった。
だが、全面改憲に至るための第一段階はすでに済んでいる。それはすなわち、集団的自衛権を行使できるとする憲法解釈の変更であり、新解釈に基づく新安保法制の昨年国会での成立である。
この憲法解釈の原則的変更によって、自衛隊は同盟国と共に他国や武装勢力に対して先制攻撃を加えることも、原理的には可能になった。政府見解において、専守防衛のための最小限の自衛能力として憲法9条と矛盾しないものとされてきた自衛隊の定義は、根本的に変更されたのである。
この重大な変更を実質的に下したのは、2014年7月1日の閣議決定である。いかなる選挙の審判の機会を経ることもなくそれは決められたのだから、新安保法制反対運動という形で激しい反発が生じたのは、当然のことであった。
◾国家緊急事態条項
そして次の段階は、来る参院選である。与党としてはここで改憲勢力の議席を3分の2以上確保し、憲法改正の発議を行ないたい。だが、自民党は選挙戦において憲法問題の争点化を避けるであろう。
6月5日の「毎日新聞」によれば、ある自民党関係者は、「改憲は自民党の党是。隠しているわけではないが、今は声を潜めた方がいい。参院で3分の2が取れたら改憲に動き出す」と語ったという。徹底的に卑劣であるが、彼らが卑劣であるのは今に始まったことではない。
しかも、そこで提起される改憲は、全面改憲でないばかりか、9条とは無関係のものとなるはずだ。焦点は、国家緊急事態条項の追加である。加えて、環境権等の「新しい権利」の盛り込みが焦点ボカシのためになされる可能性が高い。また、公明党はこれらの諸権利の盛り込みを同党の政治的手柄として喧伝する機会を与えられることで、国家緊急事態条項の追加に賛成するであろう。創価学会員の諸氏は、初代会長、牧口常三郎の軍国主義への反対を貫いて獄死したという生き様を振り返り、今日の公明党の政治姿勢に対する評価をいかにすべきか真剣に再検討すべきときではないか、と筆者は考える。
かつ、国家緊急事態条項の必要性を政権が訴求するに際しては、ひたすら天然災害対策だけが引き合いに出されるであろう。戦争についてはほとんど言及されないはずである。
このような形で、「お試し改憲」(つくづく愚劣な言葉である)によって国民を改憲に慣れさせた上で全面改憲に進む――という道筋が、今日はっきりと見えてきた安倍政権の改憲への戦略と展望である。
しかし、従来の憲法にいくつかの条文を付け加えることと、従来の憲法を全部捨てて新しいものに取り換えることは大きく異なる。後者においては、国民の心理的抵抗は自然と強くなる。ゆえに、全面改憲というゴールの前には、国民の「心理的ハードルを下げる」ことが狙われると、私たちは想定する必要がある。
6月5日の「毎日新聞」によれば、ある自民党関係者は、「改憲は自民党の党是。隠しているわけではないが、今は声を潜めた方がいい。参院で3分の2が取れたら改憲に動き出す」と語ったという。徹底的に卑劣であるが、彼らが卑劣であるのは今に始まったことではない。
しかも、そこで提起される改憲は、全面改憲でないばかりか、9条とは無関係のものとなるはずだ。焦点は、国家緊急事態条項の追加である。加えて、環境権等の「新しい権利」の盛り込みが焦点ボカシのためになされる可能性が高い。また、公明党はこれらの諸権利の盛り込みを同党の政治的手柄として喧伝する機会を与えられることで、国家緊急事態条項の追加に賛成するであろう。創価学会員の諸氏は、初代会長、牧口常三郎の軍国主義への反対を貫いて獄死したという生き様を振り返り、今日の公明党の政治姿勢に対する評価をいかにすべきか真剣に再検討すべきときではないか、と筆者は考える。
かつ、国家緊急事態条項の必要性を政権が訴求するに際しては、ひたすら天然災害対策だけが引き合いに出されるであろう。戦争についてはほとんど言及されないはずである。
このような形で、「お試し改憲」(つくづく愚劣な言葉である)によって国民を改憲に慣れさせた上で全面改憲に進む――という道筋が、今日はっきりと見えてきた安倍政権の改憲への戦略と展望である。
しかし、従来の憲法にいくつかの条文を付け加えることと、従来の憲法を全部捨てて新しいものに取り換えることは大きく異なる。後者においては、国民の心理的抵抗は自然と強くなる。ゆえに、全面改憲というゴールの前には、国民の「心理的ハードルを下げる」ことが狙われると、私たちは想定する必要がある。
◾全面改憲と有事
すなわち、国家緊急事態条項の追加が行なわれた後に、「有事」の実際の発生があると予測するべきである。
それは、紛争・武力行使として生ぜしめられるかもしれない。すでに「日本国の軍事組織(=自衛隊)が戦争をしている」という状況が現実になれば、そこに発生する矛盾の巨大さは、9条と自衛隊の存在との間のそれの比ではない。
そうなったとき、9条の廃止は、改憲というよりもむしろ、現状追認にすぎないものとなる。これによって、全面改憲(=戦後憲法の破棄)に対する国民の心理的ハードルは、大幅に下がる。
そして、この段階では、テロであれ紛争であれ、有事が発生してしまえば、国家緊急事態の発生と見なすことができるのだから、その発生を黙過・許容・誘発した政府に対する批判や改憲の試みに対する批判を「言論の自由の一時停止」によって封じることができる。それゆえ筆者は、今回の参院選が最後の自由な選挙になる可能性に言及した。
それは、紛争・武力行使として生ぜしめられるかもしれない。すでに「日本国の軍事組織(=自衛隊)が戦争をしている」という状況が現実になれば、そこに発生する矛盾の巨大さは、9条と自衛隊の存在との間のそれの比ではない。
そうなったとき、9条の廃止は、改憲というよりもむしろ、現状追認にすぎないものとなる。これによって、全面改憲(=戦後憲法の破棄)に対する国民の心理的ハードルは、大幅に下がる。
そして、この段階では、テロであれ紛争であれ、有事が発生してしまえば、国家緊急事態の発生と見なすことができるのだから、その発生を黙過・許容・誘発した政府に対する批判や改憲の試みに対する批判を「言論の自由の一時停止」によって封じることができる。それゆえ筆者は、今回の参院選が最後の自由な選挙になる可能性に言及した。
私たちが今置かれている状況は以上である。この流れを止める唯一の手段が、筆者が「永続敗戦レジーム」と呼ぶものを打倒する決意を固めた人々・勢力による「共闘」である。筆者は、近著のなかで、この共闘は「三つの革命」として進行しなければならない、と論じた。見てきたように、参院選は、戦後日本の最大の政治危機をはらんでいるが、同時に現政権の目論みを挫くことで、重度の閉塞に陥った戦後日本を積極的な意味で清算し、再出発するための好機を到来させる可能性をもはらんでいるのである。
※本稿は「i女のしんぶん」6月25日号に寄稿した原稿に加筆修正したものです。
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